やはりのブログ

長いんです。

まんだら堂異聞

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家から少し歩いて鎌倉名越山の山道を分け入ると、

まんだら堂やぐら群という中世の墓地がある。

保存状態の都合で限定公開となっている間に、

先日、ひさびさに訪れてみた。

 

やぐらとは、中世に作られた、横穴式の墓地のことで、

その当時に高位だった、武士や僧侶、商人などを埋葬している。

 

また、「まんだら堂」という名前がついているのだが、

「まんだら堂やぐら群」には、お堂はない。

そこにあるのは1000年近くの間、

雨風に晒され、草木に浸食され、

今はすっかり自然と同化して立ち並んでいる、

たくさんの石造りの五輪塔だけだ。

ここはいつもひと気がなく、自然の音しか聞こえない。

そして妙に明るい。

この山中のぽっかり空いた空間で、

たくさんの石と向き合っているといつも、

うつし鏡の世界に入りこんだみたいに、

生と死の世界がくるっと反転するのを感じる。

あちらからすれば、

こちらのいる世界はあの世みたいに、

人も草木も、

幽霊みたいにぼんやり透けて見えているのかな、

とも思ってみたりする。

石はなにも語らない。

 

高校生の時にはじめて、

このやぐら群と向き合ったときのことを覚えている。

夏の陽ざしが緑草を照らし、

その陰でひっそりとたたずむ石たちの静謐な世界と、

一切のひと気の無さとが相まって、

時間の流れに置いてけぼりをくらったような心地になった。

怖がりだったので、

すでに自分は現世から切り離されていて、

もう戻ってこられないのではないか、

と一人でヒヤヒヤしていた。

やぐら群に背を向けると、

片目の見えなくなった野良猫が、

足にすり寄ってきて、「なあ」と呼びかけてきた。

 

まんだら堂の無機質な石のたたずまいを見るたびに、

奈良の明日香村で見た、石舞台古墳の景色を思い出す。

飛鳥駅からバスで少し走ったところにある古代の墓だ。

誰の墓かは公式では明らかではないが、

中学の教科書にも出てくる、

蘇我氏の墓という説が有力らしい。

そんな有名な豪族の墓にもかかわらず、

名前がないのは、

蘇我氏大化の改新で敗れたからだ。

それによって蘇我氏は歴史の敵側にまわらされた。

現場の墓には、ピラミッドのような、

生前の蘇我氏の権威を誇示する派手さはなく、

広場の真んなかに巨石がずしりと積みあがっていた。

ただ無機質に、

空間のなかで石が寡黙に存在していた。

名前のない墓としてである。

蘇我氏が権力闘争に敗れ、

仕打ちを受けて歴史から消され、一方の勝者は、

天皇家として現代まで血をつないでいると思うと、

つくづく歴史は勝者が作るものだと感じる。

史跡には常に暗い影がつきまとう。

世界最古の木造建築物といわれる法隆寺の歴史も、

政争で血に染まっている。

古都といわれる鎌倉でも、

開発で土を掘りさげると、

底から無名の人骨がわんさかと出てくるそうだ。

芭蕉が、この世の無常さをうたった俳句を思い出す。

「夏草や つわものどもが 夢の跡」。

 

ただ、人としてもっとも過去にあふれているのは、

ときの権力者や兵、

まんだら堂に埋葬されるような高位な人ではなく、

権力闘争や高位から離れて、

毎日生活をしながら、年月を過ごし、

その時を迎えて、

亡くなっていった無名の人たちだろう。

鎌倉の地底に埋まっている、

たくさんの人骨の大半はそういった人のものだろう。

かれらもまた、歴史には残らず、

その小さな小さな世界のなかで一生を過ごし、

ひっそりと命をとじていった。

 

まんだら堂を出て、

隣町の逗子側に山道を抜けると、見晴らし台がある。

そこからは逗子の市街地まで一望できる。

名越山のトンネルから抜け出した電車が、

ガタゴトと音を立てて、街の中心地へと向かっていく。

生活の音が聞こえてくる。

右を向くと、海がひろがっている。

水平線に太陽の陽ざしが反射して、

きらきらとまぶしい。

生と死の、うつし鏡の世界に入りこんだなら、

この景色も、ぼんやりと透けて見えるだろうか。

石が沈黙して時代を見送ったように、

この活気づく世界もまた墓標のように沈黙している。

そこに街と人が立っている。